ネット上に「そふぁね」という人格が誕生してから三ヶ月半がたちました。
その間、本当に濃い出会いがあったと思っています。
Dpub参加もその一つですし、すごく楽しいです。
インターネット上に人格をつくるということ
最近はあまり聞かなくなりましたが、一時期ネット上での「匿名性」をめぐりテレビのコメンテーターが色々とのたまっていたりしました。
インターネットで匿名でものを言うのはよくない。とか、自己満足にすぎない。とか、意見がかたよる、とか。
でも本当にそうなのでしょうか。
匿名のキャラクターをつくることは、なりたい自分をつくること
私が「そふぁね」を生み出したとき、何を考えていたのか。
ブロガーと呼ばれる方たちがやっていることがカッコよくて、「ブロガーである自分」を妄想するところからはじまりました。
でぃわおさんやのりごとーさんみたいなのかっこいいなーと。
そのカッコイイひとたちは、いつも楽しそう。
だから、「ブロガー」として毎日を「楽しんでいる」自分になりたい。
ならば、架空の「なりたい自分」を先に作ればそうなれるのではないか、と考えたのです。
「そふぁね」は、中の人のなりたい像でもあるのです。もちろん成長途中ですが。
なりたい自分を先につくることで、なりたい自分に近づける
たとえば会社ですごく嫌なことがあったとき。
本当の、実態を伴った私はすごくイライラしたり、人に八つ当たりしたりします。
ドアを乱暴に閉めたりすることもあるかもしれません。
でも、それは「なりたい自分」ではありません。
そんな自分であっても、ひとたび「そふぁね」としてキーボードに向かえば、明るく「どうも!そふぁねです!」と言えるんですね。
不思議なことに。
これはブログを始めて、実際に会社でイライラして帰ってきてみてわかりました。こんな効果があったとは。
そうなると、「ブロガー」としての面白い自分を目指して頑張っている「そふぁね」も、少しづつなりたい自分に近づいていける。
そんな気がしています。
自分のハイパースレッディングで、二足のわらじを履いて歩く
ハイパースレッディングとは、パソコンの脳みそにあたるCPUに関することばです。
簡単にいうと、本当はひとつの脳みそなんだけれども、ふたつあるようにふるまえる、ということです。
ふたつあれば当然できることも増えますよね?2つのことを同時にやったりとか。
私はこれを、人生においても実行できるんじゃないかと思っています。
会社員としての自分、ブロガーとしての「そふぁね」
自分は昼間はふつうのITサラリーマンとして働いています。
その自分は一人だけです。
もちろん、サラリーマンかつブロガーになってもいいのですが、そんなに器用でない私はハッキリとそれらを切り分けられそうにありませんでした。
そこで、ブロガーとしての自分である人格の出番です。
会社員としての自分の人生と、ブロガーとしてのそふぁねの人生。2つを同時に進めていけば、人生一度きりなんていわず、二回分を味わえるわけです。オットクー。
もちろん会社員とブロガーでなくても構いません。でも、何か一つに絞る必要はないと思うんです。
複数のことをして歩んでいくのに、ネットでの人格・キャラクターを作って自分を切り分ける。
とても有効な手段なんじゃないかなーと、感じています。
ハイパースレッディングは、あくまでも一人が二人っぽく振る舞うだけ
ここで気をつけたいのが、あくまでも根幹にある人格は「ひとり」であるということです。
一方のインプットだけで両者のアウトプットをまかなおうなどと考えると、おそらくふたりとも倒れてしまうでしょう。
ここは、会社員としての体験をブロガーとしての力に、ブロガーとしての力を会社員としての力に還元できるようにしなければなりません。
実際に、私もブログを書いていて身につけた「画面のスクリーンショットをとって説明を付けくわえる」という作業の手際が仕事にも生きたりしています。
逆に仕事中にブログのネタになりそうな話題に出会ったこともあります。
ネットで第二の自分を生み出し、根幹の人格を育てる正のスパイラルに
何かを諦めることをしない。会社員だからってブロガーになれないわけじゃない。
むしろ両方の人生を生きてしまえ!そうすればふたりの人格が助けあって、楽しいことが起きるはず。
そこでは「実名である」ことよりも「匿名である」または「偽名である」ことが役に立つ場面もあるでしょう。
ときが来たら、自分がいいと思ったら、ふたつの名前・人格を紐付けすればいいんです、きっと。
なりたい自分に近づくために、なりたい自分を先に作ってみてはいかが?