ソファの上からこんにちは。そふぁね(@sofa_ne)です。
『本を読む人だけが手にするもの』を読みました。本書を読む前に『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』を読んで色々なるほどと思う点があったので、こっちも面白いかなーと思って手に取りました。
タイトルからして、「自分は沢山本を読んでいるしインプットもアウトプットも出来ている」という人向けではなく、「本くらい読まないとなー」とか「会社/学校の都合で本を読まないといけないけど、なかなか進まないなー」といった普段読書にそれほど慣れ親しんでいない人向けに書かれています。
とはいえ「本なんか絶対読むものか」と思っている人は本書も手にとらないでしょうし、月に1,2冊読むか読まないかで、家の本棚には積読が何冊か、といった方がメインターゲットだと感じました。
そういった人向けに、大きく
- なぜ本を読むべきなのか
- 本を読むとどんないいことがあるのか
- 本はどう読めばいいのか
- おすすめの本
について書かれています。
本を読むのは「幸福をつかむため」
まず本書で書かれている「なぜ本を読むべきなのか」ですが、大きなポイントは幸せをつかむためです。
昔は「いい大学に入っていい会社に入って、車を買って家を買って子供がいて・・・」といった、いわば幸せのテンプレが存在しました。この時代を本書では「成長社会」と呼んでいます。ところがいまは成長社会ではなく、経済成長のスピードも鈍化して、社会全体が一つにまとまって成長する社会は終わり、成熟社会になっていきています。こういった話題はそこらのビジネス本ではも共通の前提になっている感がありますね。
そんな成熟社会では幸せのテンプレは存在せず、それぞれが自分自身の幸せを定義し、そこに向かっている必要があると述べられています。
つまり、幸せを自分で定義出来ないかぎり、幸せにはなれない。
そして、幸せを定義するためには、その軸となる教養が必要である→教養を身につけるためには読書が必要である。
すなわち、幸せになるためには読書が必要である。
という論です。
「では教養を身につけるためにはどんな本をどうやって読んだらいいの?」という疑問が浮かびますが、その辺も本書には書かれています。
私が特になるほどと思ったポイントは、読書はまず量という点です。
読書はまず量から
読書をする際、良い本を沢山読むべきである。
この考え方に反対する人はまずいないでしょう。
では、良い本をに出会うためには何をすべきかというと、本を選ぶ目、鑑定眼を養うことが必要です。本の鑑定眼を養うためには、(卵が先か鶏が先かみたいな気もしますが)本を沢山読むしかありません。
ちょうど、イチローが沢山ヒットを打てるのは、打席に数多く立っているから、と同じ理屈ですね。
世の中にあふれる本のうち、自分の感性に合う本というのはごく一部です。
読書に慣れ親しんでいない方というのはココの考え方が違っていて、「本は全て価値があって読むべきものである」という勘違いをされてい場合が多いです。この勘違いを持っていると、理解出来ない本や面白くない本に出会った際に「自分のせいだ」と思ってしまいますが、そうではありません。
本が面白いと感じるとき。それは、本の内容と自分のその時点での知識量、場合によっては気分や体調までもがバチーンと合ったときなのです。バチーンとあうと、「これは良い本だ!」とか「これは自分のために書かれた本だ!」と思えるのですが、そんなシチュエーションは本当に稀。
そういった偶発的な「コレだ!」という出会いの確立を増やすために、数多く読む。
私もいままでの人生で400冊くらいは本を読んできましたが、完全に同意できる(かつ周りに広く教えたい)ポイントでした。
本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、習慣化した「乱読」をおすすめする。(P183)
本書を読んで読書のメリットを感じ、巻末のおすすめ本リストから幾つかピックアップして読む。
それからはジャンルを限定せずにどんどんと幅広く乱読する。
こうした本の渡り方の最初の一歩目として、役に立つ本でした。
関連する本
上記の引用部分にキーワード「乱読」が出てきました。
乱読といえば『乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)』ですね。
こちらの本では
本があふれるいまの時代、もっとも面白い読書法は乱読である
と書いてあります。乱読によるインプットだけでなく、知的メタボリックにならないためのアウトプットが重要である、とも述べられています。「乱読」というワードが気になったら是非。『思考の整理学 (ちくま文庫)』で有名な外山滋比古氏の本です。