ソファの上からこんにちは。そふぁね(@sofa_ne)です。
外山滋比古氏の著書は、『思考の整理学 (ちくま文庫)』を読んだことがありましたが、どちらかと言うと著者よりも「乱読」というワードにビビっときて購入しました。
乱読のセレンディピティ
もっとも面白い読書法は乱読
やみくもに手当たり次第、これはと思わないようなものを買ってくる。そうして軽い好奇心につられて読む。乱読である。本の少ない昔は考えにくいことだが、本があふれるいまの時代、もっとも面白い読書法は乱読である。
ブックオフに行けば100円で本を買える今、確かに乱読は実現しやすくなっています。
と言っても、そこには本の手に入りやすさ以外にもう一つハードルがあると思っていて。
私は以前、「今日はブックオフで10000円分買ってやる!」と思って出かけたことがあります。で、目につく本から面白そうなものを選んでカゴに入れていったのですが、結局2000円ぶんくらいしか買えずに終わってしまいました。
だから「これはと思わないようなものを買う」のは実は意外と難しいよな、という実感があります。
どちらかというと、好みにあった本を選んだり、「これだ!」という本を探したりするのも楽しかったりするので、興味がそれほど無い本には手が伸びなかったりします。
昔は本は大事だと思って、ペンで書き込みすら出来ませんでした。
が、外山氏によると、もっと本を「読み捨てろ」とのこと。
本は読み捨てでかまわない。
本に執着するのは知的ではない。ノートをとるのも、一般に考えられているほどの価値はない。
本を読んだら、忘れるにまかせる。大事なことをノートしておこう、というのは欲張りである。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。
外山氏は、本に執着して知識をあれこれ溜め込んでいくことを「知的メタボリック」という面白い表現で表しています。
このへんも、沢山ある「読書本」とはちょっと違うことが書いてあるな、と感じました。
失敗を恐れない
そんな乱読のためには、「失敗を恐れない」覚悟が必要、と外山氏は言っています。単純に面白くないとか、読むにたらない本というのも、これだけ本が溢れている時代なら当たってしまいます。
先の「ブックオフ行けば安くたくさん手に入るのに、意外と手が伸びない」のは、「失敗したくない」という思いがあったからなのか、と納得。
やっぱり本って身銭切って買ってみて、それで失敗したらそこから学べば良いんですよね。
失敗したくない人とか、どれを読んだらいいかわからない、なんて人は、身近なひとにおすすめを聞いたりもしますよね。
自分もおすすめの本を聞かれるのは嬉しかったりして、アレもいいよコレもいいねーなんてノリノリで答えてます。
しかし、「今でしょ」でお馴染みの林修先生は
おすすめの本は聞くな
と著書『いつやるか? 今でしょ! (宝島SUGOI文庫)』の中で語っています。
大学に入ったばかりの頃、秀才の誉れ高い先輩のところに友だちと2人で遊びに行ったときのことです。その友だちが、やはり同じ質問をしたのです。
「先輩、何かおすすめの本はありませんか?」
すると、先輩は、
「自分で読みたい本も見つけられないような感性の鈍い人間が、何を読んだところで無駄だとは思わないかい?」
と冷ややかに言い放ちました。
ぐさっときますね。
林先生は「言ってることは正しいな」と思ったそうです。
きっと、ロールモデルたる先輩の本棚をのぞき見て、そこに置いてあった本を自分でも買って読み漁るくらいの気概が必要だったんだろうなと想像します。
私は、この本棚盗み見方式なら乱読としてもいいのかなーと思いました。
大事なのは自分の興味の範囲で選ばずに、世界を広げていくことだと。とすると、他人の本棚片っ端から読むのは、自分で選んでないので世界はある程度広がるはず。
いかに貯めるかではない
話を『乱読のセレンディピティ』に戻すと、この本は「乱読で知識を溜め込もう」ということが言いたいのではありませんでした。
ためていくとむしろ「知的メタボリック」になってしまい、不健康になります。
そこで、乱読でインプットを多くすることと同時に、忘れること、新しい考えを生み出すことにも重点を置いています。
メタボリックという表現からもわかるように、コレは人間が食べ物を食べてそれを消化・排泄して自分の身体をつくる流れに似ています。
とにかくインプット、とにかくためこみ。な読書になっている人は、読んでみると新しい考え方が得られそうです。