先日、知り合いのブロガー兼ライター兼陽気なおじさまがこんなことをつぶやいていました。
子供がやってることがわからない、といってる親は無責任だよね。自分たちがLINE使ってみればいいだけなのに #nhk_fukayomi
— Daiji Okuno (@odaiji) October 26, 2013
おそらくテレビ番組へのコメントだと思います。私は番組自体を見ていないのですが、
子供のやってること、アプリについて親が勉強する・しくみを理解するべきだ、というのには反対ですね。
— そふぁね (@sofa_ne) October 26, 2013
という意見です。
わたしが子供のころ携帯電話を手にしてからの話
私が中学生のころは、ちょうどその年代にも携帯電話を持ってる人が増えてきたころ。
「高校に合格したら初めてケータイが買ってもらえる」なんて時代でした。
ご多分にもれずケータイ(最初はPHSでしたが)を手にした私も、のめり込むように使っていました。
失敗もしたが、大失敗はしなかった
ケータイにまつわる失敗はいろいろあります。
中でも大きいのは、一ヶ月に3万円以上請求されたことでしょうか(・_・;)
今ではパケット通信定額が当たり前ですが、そのころはまだ「使えば使っただけ金額が請求される」プランだった私。
個人のパソコンなんて持ってないころですから、今PCでやっているようなことを全部ケータイでやっていたわけです。そりゃ高額請求されます。
このときはよっぽど親に怒られました。
でも(当時の両親には申し訳ないですが)3万円の請求なんてカワイイものだと思います。
私は出会い系に首をつっこんだわけでもなければ、あやしいクスリに手をだしたわけではない。
すくなくとも、自分の身を危険に晒すような真似はしませんでした。なぜか。
それまでの親の教育が、道をはずさないストッパーに
やっちゃいけないライン、というのをそれまでの10数年親から教わってきていたから、大失敗をせずに済んでいたのだと今頃になって思います。
もちろん、アレはOKこれはNGと細かく教わったわけではありません。
そうではなくて、空気感や、愛情でしょうか。そういったものから、人としてやっていいこととわるいことを肌で感じていました。
親は背中で語ってればいいのでは?
親のおかげでひどい目に遭わなかった私が今思うに、両親が私に対してとった「距離感」が調度良かったのではないかなと思っています。
子供のやっていること・使っているものを親が理解する必要はない
これ↑が先のつぶやきの主張です。理由は大きく2つありまして
- 子供には親から離れた時間が必要
- 後手の対処では意味が無い
1つ目の「子供には親から離れた時間が必要」ということですが、常に自分の行動を把握されていては、かえって反発したくなるもの。
考えてみてください。自分が高校生のころに「さいきんLINEが流行ってるんだって?あんたも使ってるの?」なんて言われた日には「うるせぇ!」って言い返していたんじゃないですか?言い返さないにしろ、いい思いをしない年頃でしたよきっと。
親の目の届かないところ、って必要です。
2つ目の「後手の対処では意味が無い」。
ツール等々新しいものが出るたびに親が調べたり体験したりしていて子供に教えたりするのはハッキリ言って「遅いし無駄」です。
Twitterに興味がない大人が、子供が使っているからと自分もやってみたとして、ほんとうに理解できるでしょうか。
私のように数年Twitterを使っているような人間からしても、中高生がどんなTwitterの使い方・楽しみ方をしているのかは理解できないでしょう。本人たちにしかわからない世界があるのです。
それを大人が曲解して、「こういう使い方ならOK」とか「こういうことをやってはいけない」と教えたところで、的外れで終わります。
子供がはまってることを親が理解できたころには、とっくに次の波がきています。
もっと大きなことを教えてください
上に書いた携帯電話にまつわる私の失敗談にもあるように、親の役目はツールの使い方どうこうよりももっと大きく「自分の身を守れ」とか「超えちゃいけないライン」を教えることなんだと思います。
そうすれば、子供がどこで何使ってなにしてるかはもう関係ないんじゃないでしょうか。
「何やってるかわかんないけど、ま、大丈夫だろ。」と親に思われてるのが一番いいなぁ。
と、あくまでもまだ子供がいない若造の、「子供側から」の理想論でした。